企業案内

染色文化の伝統を継承しながら、
未来へ繋がる新たな挑戦を続ける会社です

会社概要

商号株式会社 野口染舗
代表取締役野口 聡
監査役池戸 俊幸
本 社〒003-0808
札幌市白石区菊水8条2丁目2-9
代表電話 011-811-3816
従業員数12名
お電話
フリーダイヤル
0120-12-4447
資本金38,000,000円
事業内容着物、染色、加工、製造、クリーニングに関わる業務
本社営業日平日  9:00〜17:30
土曜日 9:00〜15:00
定休日 日曜・祝日・お盆・年末年始
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ヒストリー

1948年(昭和23)、京都「野口染工」より来道した野口繁雄が、新天地・北海道で悉皆屋(※)「野口染舗」を開業しました。北海道初の湯のし機、着物丸洗い機、撥水加工機などをいち早く導入し、北海道の染色業界を牽引。1965年(昭和40)には、有限会社として法人組織に改組しました。
※悉皆屋(しっかいや)とは、着物のお直しに関する相談をすべて受ける相談窓口でもあり、それぞれの業者間を取り持つ着物のプロデューサー。
初代・繁雄が亡くなったあと、妻の幸子が2代目の代表取締役社長に就任し、二人の息子、長男・剛、次男・聡も母を支えます。1983年(昭和58)に株式会社とし、幸子は会長に、長男の剛が3代目社長として会社を率います。1986年(昭和61)には、「第一回染匠会」を開始。これまでは法人のお客さまとの取引がメインでしたが、先々を見据え、本格的に個人のお客さまの受注に踏み切りました。古いしきたりや慣習が強く残る和装業界において、当時はタブー視されていたことでしたが思い切った決断でした。
1987年(昭和62)には、札幌能力開発優秀技能賞(染色)を受賞し、29歳だった次男の聡が北海道で第一号となる染色技能士を取得します。当時、全国で最年少の染色技能士でした。その後、着物文化を継承させていくために「野口和裁専門学校」「野口和裁高等職業訓練校」を設立(1999年に閉校)。1988年(昭和63)には、第7回一級技能士(染色補正)全国競技大会にて、聡は優秀賞を受賞します。その後も北海道産業貢献賞(染色)、北海道卓越技能賞(染色)を受賞。
1991年(平成3)に、(株)野口和裁を設立して縫製部門を移管。野口和裁の代表取締役に剛が、野口染舗の4代目には聡が就任します。1993年(平成5)に仙台工場を設立(2020年閉鎖)。1998年(平成10)には創業50周年を迎えました。2004年(平成16)には店舗をリニューアルし、2年後には聡の長男・繁太郎が入社します。海外で働きながら旅をしていた繁太郎は、身近に着物があったものの、海外の人たちに着物のことを尋ねられても語れない自分自身に衝撃を受けます。これが生まれて初めて家業について向き合うきっかけとなり、息子だからという甘えは捨て、きちんと面接を受けて入社します。
繁太郎は、普段から気軽に着られる着物として、デニム生地を使った新しい着物「着流しデニム」を発表します。デニムは古くなればなるほどヴィンテージとして価値が上がるのに、着物は古くなればなるほど価値が下がるのはなぜかという疑問もこの着物が誕生するきっかけとなりました。2011年(平成23)から本格的に「着流しデニム」の販売を進め、翌年にはサッポロコレクションでファッションショーも行います。2013年(平成25)には、「Shi bun no San」(シブンノサン)というブランド名を掲げ、それ以降、伊勢丹新宿本店、三越日本橋本店、阪急うめだ本店などに出展するほか、コレクションも開催。2016年(平成28)のおもてなしセレクションでは、「Shi bun no San」の「JUBAN Tシャツ」が選ばれます。のちに「JUBAN Tシャツ」は商標を登録しました。
2018年(平成30)に70周年を迎え、染色の新しい形を模索する中、2020年(令和2)から捨ててしまうもので染める「Re COLOR PROJECT」をスタート。2023年には、北海道らしい天然染めを追求し「BetulaN」が誕生。 創業以来、日本の染色文化と、ものを大切にする心を継承しながら、その一方で時代を見据えた新しいことに挑戦してきました。これからも私たちの挑戦は続きます。
野口染舗|創業一九四八年[美しさ、いつまでも]札幌市菊水の染舗です。
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